明治六年創業文明開化の時代から続く青果仲卸業

「散切り頭をたたいてみれば文明開化の音がする」。そんな流行り歌が流れた明治初期―。東京都中央卸売市場・豊洲市場に店を構える「株式会社 梅村屋(かぶしきがいしゃ うめむらや)」は、明治6年から青果仲卸業者として歴史を刻んでまいりました。当時としては非常に珍しい「西洋野菜問屋」として営業を始め、現在では国内外を問わず様々な野菜・果物・ハーブなどを取り扱っております。「その日お届けするものは、その日に仕入れる」という信条の元、農家さんが育てた農作物を新鮮なままお届けする事がこだわり。個人店さんをはじめ、スーパー、レストラン・洋菓子店・飲食店、宿泊施設など、多種多様な業種のお客様とのお取引き実績がございますので、どうぞ気軽にご相談ください。

その歴史140余年梅村屋とは

そのモットーは
“徹底的な鮮度へのこだわり”

弊社が徹底してこだわっているのが“新鮮さ”です。農家さんが精魂込めて作られた農作物の素晴らしさをお伝えする為、在庫はできるだけ持ちません。試行錯誤を重ねた現在のシステムにより、鮮度溢れる美味しさをお届けいたします。

01豊洲の規模を活かした
豊富な仕入れ

市場

長い歴史から多くの業者さんとのご縁をいただいている弊社。その為、実に幅広い種類の商品を取り扱っております。また、同じ豊洲市場内の繋がりもあり、豊富な仕入れができるのが強みです。

02受け継がれる
目利きの技

目利き

長年青果仲卸業を営んできた経験で培った“目利き”。素材の品質や状態を見極め、納得できるもののみを仕入れております。どうぞ安心してお任せいただければと思います。

03日本で最先端を誇る
設備の数々

空調設備

冷蔵倉庫

自動シャッター

選び抜いた上質さを保つには、やはり荷捌きする“環境”も大切です。弊社が店を構える豊洲市場は、優れた空調技術、出入口の自動シャッター、巨大な冷蔵倉庫によって、徹底した温度管理が行われています。

梅村屋の歩み

弊社の創業は、「ザンギリ頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」等といわれた頃の時代です。1873年(明治6年)当時としては非常に珍しい「西洋野菜問屋」として営業を始めました。「西洋野菜」の問屋…?では、もともと日本原産の野菜といえばどんなものがあったのでしょうか。それらは、アサツキ・アシタバ・ウド・ジュンサイ・セリ・ハマボウフウ・フキ・ミツバ・ワサビ程度であるといわれています。つまり、ほとんどの野菜は海外からやってきたものといえます。
3世紀ごろに中国で書かれた「魏志倭人伝」によると、すでにこの頃インド原産の生姜や、中国原産の茗荷が生育していたようです。
7世紀、飛鳥時代になると遣隋使と大陸からの帰化人によって、その栽培技術も日本に入ってきました。万葉集にでてくる季節季節の野菜は、サトイモ・マクワウリ・クキタチナ・セリ・ジュンサイ・ニラ・ニンニクなどが数十首に登場します。

一挙に明治へと話は進みます。明治初年、時の政府は農業振興文明開化「とことんやれとんやれな」とばかり外国から多くの農作物を輸入し、今の新宿御苑で実験栽培し、それらをそれぞれの適地に栽培を奨励しました。以下当時すでに栽培されていた野菜たちです。
アスパラガス・キャベツ・カリフラワー・セルリー・ルバーブ・レタス・メキャベツ・アーティチョーク・エンダイブ・コールラビ・ジャガイモ・ビーツ・パースニップ・リーキ・サルシファイ・セルリアック・ホースラディッシュ・トマト・オクラ・ピーマン・チャービル・タイム・クレソン・パセリ・セージ・コリアンダー…
当時の日本人にはまだまだなじみうすくても、細々なれど専門筋で大事に育てられきた野菜たちです。
森鴎外の「舞姫」エリーゼも滞在したという築地精養軒ホテル(明治5年創業)を引継ぐフランス料理の老舗、上野の精養軒(国内に現存する最古の西洋料理店 )は西洋野菜育てのスポンサーの一軒。創業以来のお付き合いをいただいております。旧い永いお得意様です。
食通としても著名な小島政二郎が明治20年代を描いた「三美人」に「当時、西洋野菜は梅村屋に行かなければ東京では手に入らなかった。横浜の子安まで行かなければ…」と風月堂とともに実名で登場します。
新橋土橋の脇、芝口御門での営業も京橋・大根河岸(ダイコガシ)へと移ります。問屋としては販売をするだけでなく、供給を確保するための産地育成も同様に重要な仕事でした。
大正12年、中央卸売市場法が施行されました。古く狭くなった大根河岸を後に、軍楽隊を先頭に、幟をたてて、かすかな期待と、大きな不安を胸に、小雨煙るただだだっぴろい築地市場へと行進したのは昭和12年2月11日でした。
昭和16年、戦時体制の強化に伴い余儀なく休業しましたが、昭和24年統制解除とともに仲卸も復活し営業を再開しました。
昭和39年、「株式会社 梅村屋」を設立。
平成30年10月11日、最新設備の豊洲市場に移転しました。

梅村屋 先代社長
故 佐藤 昌男

明治5年より御愛好いただく 「精養軒」様より

精養軒総料理長写真

当軒と御社の取引は、先代以前から長くお付き合いさせていただいております。安全、安心、新鮮。そして、あらゆる食材のオーダーに、応えていただいて来ました。当軒の料理、スタッフにとって、とても大切な信頼できるパートナーであります。これからもよろしくお願いします。御社のこれからの益々の発展とご活躍を心より願っております。

㈱精養軒
執行役員 総料理長
富田 高彦

明治5年(1872年)日本におけるフランス料理店の草分けとして、東京・築地にて創業。 明治9年(1876年)には、上野公園開設に伴い、不忍池畔に「上野精養軒」が誕生。日本で現存する最古の西洋料理店。

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